1617、ラトビアの首都・リガへ

ラトビア人ライモンド・パウルス作曲の歌がある。日本では加藤登紀子が歌い大ヒットした。
「マーラが与えた人生」と題する歌で、曲想は暗い。加藤は同じ旋律の曲を長調で唄った。題名は「百万本のバラ」といった。



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リトアニアのカウナスからラトビアの首都リガまではおよそ400キロ程度だろうか、バスは只管そのリガに向けて走ってゆく。そんなバスの中で、マーラの与えた人生という歌を聴く。歌詞はこうだった。

♬子供のころ泣かされると 母に寄り添って なぐさめてもらった
 そんなとき母は笑みを浮かべてささやいた
 「マーラは娘に生を与えたけれど幸せはあげ忘れた」

♬時がたって、もう母はいない
 今は一人で生きなくてはならない
 母を思い出して寂しさに駆られると
 同じことをひとりつぶやく私がいる
 「マーラは娘に生を与えたけれど幸せはあげ忘れた」

♬そんなことはすっかり忘れたけれど 
 ある日突然驚いた
 今度は私の娘が
 笑みを浮かべて口ずさんでいる
 「マーラは娘に生を与えたけれど幸せはあげ忘れた」


この原曲である「マーラが与えた人生」はレオン・ブリディスというラトビア人の作詞で、今でもラトビアで歌い継がれているという流行歌である。



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加藤登紀子の唄う「百万本のバラ」はヴォズネンスキーというロシア人の作詞である。御存じの歌詞だ。



♬小さな家とキャンバス 他には何もない
 貧しい絵描きが 女優に恋をした
 大好きなあの人に バラの花をあげたい
 ある日街中の バラを買いました
 百万本のバラの花を
 あなたに あなたに あなたにあげる
 窓から 窓から 見える広場を
 真っ赤なバラで うめつくして・・・・

♬ある朝彼女は 真っ赤なバラの海を見て
 どこかのお金持ちが ふざけたのだと思った
 小さな家とキャンバス すべてを売ってバラの花を
 買った貧しい 絵描きは 窓の下で彼女を見てた
 百万本のバラの花を
 あなたは あなたは あなたは見てる
 窓から 窓から 見える広場は
 真っ赤な 真っ赤な バラの海・・・・

♬出会いはそれで終わり 女優は別に街へ
 真っ赤なバラの海は.はなやかな彼女の人生
 貧しい絵描きは 孤独な日々を送った
 けれど バラの思いでは 心に消えなかった
 百万本のバラの花を
 あなたに あなたに あなたにあげる
 窓から 窓から 見える広場を
 真っ赤なバラでうめつくして・・・・



私たちはラトビアの首都リガに向かった。400キロの距離をこの歌を聴きながら、口ずさみながら。同じ原曲でもこれほどに曲想が異なるのかと、しみじみラトビアの人々の歴史を思い、憎らしいほど明るく楽しく仕上がった百万本のバラの作詞者のロシア人の立場をなるほどと見つめなおした。やはりどこかに歴史がなせる複雑な感情があったのかもしれないと思わざるを得ないのかもしれない。




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ところで、ブログに向かっている本日は、8月10日である。早いもので、バルト三国に旅立ってから一月が経つわけで、7月のあした、11日に成田から旅立ったのだ。そしてこのブログではやっと明日からリガである。まだ、だいぶ時間がかかりそうだ。昨日台風が抜けて行き、今日はまた酷暑である。適度の水分補強を心掛け、熱中症にだけはならないように注意しなければと思うこの頃ではある。
そうだ、今日は獺祭の安売りがあり、たまプラに行ってきた。例の島耕作バージョンで、そのうちキンキンに冷やして飲むことになるだろう。
本日はラトビアの風景を交えて、加藤登紀子バージョンを楽しんでのブログであった。ということで完。

この記事へのコメント

2018年08月10日 21:45
初めまして。
私も同じようなときにバルト3国に行きました。
個人で行ったので、ガイドさんからいろいろうんちくを聞くことなく過ごしましたので、ご紹介いただいた歌のことに興味を持ちました。
私は杉原千畝氏の旧領事館だけが念頭にあったので、後のところはよく調べもしないでいたので、勿体なかったですね。

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