1713、雪のない雪国紀行、蔵王その山の頂
蔵王に行く。樹氷が、というが別に期待もない。この温暖の冬である。
でもツアーとはそうしたもので、予定の通りに工程をこなしてゆく。仕方なく、ついてゆく。




今日は3月8日であった。旅は2月の半ば、だから、半月以上の時間の経過があった。その間、コロナ騒動で落ち着く暇もない日々であった。
私たちが住む、横浜もその埒外ではなく、噂では割合近くに患者さんがいるのかもしれなかった。武漢は10年ほど前に行ったことがあった。
長江を下った時で、長江に橋を渡し何と鉄道を走らせていた。一つの側に武昌、もう一方に漢口という町があった。二つ合わせて武漢という何とも中国らしい命名の町だった。私たちはこの町で黄鶴楼という明代の城跡を見た記憶がある。あの町で起きたコロナが今世界を巻き込んだ大騒ぎを惹起しているのだ。
長い列を並び、やがてロープウエイに乗る。昨日の雨と温かさのため、残念ながら樹氷は解けたという、情報が伝わる。




樹氷は案の定なかった。普段だったら頭しか見えないというお地蔵さまが全身姿を見せている山頂を眺め、良いお天気なのがセメテモノ「賜物」と眩いばかりのっ雪景色を見やる。もっとスキー客が多いのかと思っていたが、ずいぶんと少ないスキーヤで、なるほどかつての人気もないのだとゲレンデを眺めた。
私たちはつかの間の雪見を終え、再びロープウェイに向かった。昼がまだで、おなかが空いたまま仕方なく山を下りた。米沢まで我慢のバスが山下に待っていた。
でもツアーとはそうしたもので、予定の通りに工程をこなしてゆく。仕方なく、ついてゆく。




今日は3月8日であった。旅は2月の半ば、だから、半月以上の時間の経過があった。その間、コロナ騒動で落ち着く暇もない日々であった。
私たちが住む、横浜もその埒外ではなく、噂では割合近くに患者さんがいるのかもしれなかった。武漢は10年ほど前に行ったことがあった。
長江を下った時で、長江に橋を渡し何と鉄道を走らせていた。一つの側に武昌、もう一方に漢口という町があった。二つ合わせて武漢という何とも中国らしい命名の町だった。私たちはこの町で黄鶴楼という明代の城跡を見た記憶がある。あの町で起きたコロナが今世界を巻き込んだ大騒ぎを惹起しているのだ。
長い列を並び、やがてロープウエイに乗る。昨日の雨と温かさのため、残念ながら樹氷は解けたという、情報が伝わる。




樹氷は案の定なかった。普段だったら頭しか見えないというお地蔵さまが全身姿を見せている山頂を眺め、良いお天気なのがセメテモノ「賜物」と眩いばかりのっ雪景色を見やる。もっとスキー客が多いのかと思っていたが、ずいぶんと少ないスキーヤで、なるほどかつての人気もないのだとゲレンデを眺めた。
私たちはつかの間の雪見を終え、再びロープウェイに向かった。昼がまだで、おなかが空いたまま仕方なく山を下りた。米沢まで我慢のバスが山下に待っていた。
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