1737、ご当地ソング、日本の旅、その7

そうだ、京都に行こう。
ふっと考えた。京都は仕事でも旅行でもよく行った町である。
馴染みの音楽が鳴り、新幹線が京都到着を告げると、左手に五重塔が見えてくる。京都に到着したと一番感じられる瞬間だ。
まるたけえびすにおしおいけあねさんろかくたこにしき・・今度はどこを巡ろうか、それが京都である。



四季の折々に訪ねたい街でもある。例えば、祇園小唄にはこんな京都の四季が舞子の姿を通して歌われる。まずは春、月はおぼろに東山霞む夜ごとのかがり火に夢もいざよう紅桜、しのぶ思いを振袖にと描くのだ。次に夏、夏は河原の夕涼み白い襟足ぼんぼりに隠す涙の口紅も燃えて身を焼く大文字、という。そして秋は、鴨の河原の水やせてしのぶ瀬音と鐘の声枯れた柳は秋風に泣くよ今宵も夜もすがらと描く。そして祇園恋しやだらりの帯と歌うのだ。




当時人気番組「夢で逢いましょう」で永六輔は書いた。着物姿の女をひとり、京都に遊ばせて、その姿を描いて見せたのだ。京都、大原、三千院、恋に疲れた女が一人、結城に塩瀬の素描の帯が池の水面に揺れていた、と。京都、栂尾、高山寺では、大島紬につづれの帯が影を落とした石畳、と。そして京都、 嵐山、大覚寺では塩沢かすりに名古屋帯の女が一人、耳をすますと滝の音が聞こえてきた、と描くのだ。



ところが渚ゆう子は違う。ザ・ベンチャーズの音に乗せ京都を歌って見せたのだ。京都慕情だ。
あの人の姿懐かしい黄昏の河原町、恋は恋は弱い女をどうして泣かせるの
苦しめないでああ責めないで別れの辛さ知りながら
あの人の言葉思い出す、夕焼けの高瀬川

遠い日の愛の残り火が燃えてる嵐山、すべてすべてあなたのことがどうして消せないの
苦しめないでああ責めないで別れの辛さ知りながら
遠い日は二度と帰らない夕闇の東山

苦しめないでああ責めないで別れの辛さ知りながら
遠い日は二度と帰らない夕闇の桂川


京都という町は何故だか着物姿の女性が似合うのかもしれない。きっと渚ゆう子も着物姿で歌ったことだろう。
紅白でこの歌が歌われたことは記憶している。昭和時代の演歌全盛時代だった。

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