1741,ご当地ソング、日本の旅、その11
東京はどうかな、と考える。続々と出てきそうで、なかなか選びきれないような気がしないでもない。でも東京は大きすぎる街でもう少し小さく区分して考えたほうがよさそうだ。銀座赤坂六本木、新宿渋谷五反田目黒、上野浅草日本橋、四谷麹町半蔵門・・・
さだまさしが東京を歌った幾つかの歌がある。そのあたりから始めようか。
新御茶ノ水、湯島聖堂、こんな歌があった。橋があった。聖橋といった。下に流れるのは神田川だった。駅には次々に電車がやってきて、客を乗せては走り去る。そんな情景を歌ううたがあった。演歌ではないが東京の歌だ。
ある日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて君は陽だまりの中へ盗んだレモン細い手でかざす
其れを暫らく見つめた後で綺麗ねといった後でかじる
指の隙間から青い空にカナリヤ色の風が舞う
食べかけにレモン聖橋から放る 快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の広がり数得たあと 小さなため息交じりに振り返り
捨て去るときにはこうしてできるだけ遠くへ投げ上げるものよ
君はスクランブル交差点斜めに渡りながら不意に涙ぐんで
まるでこの町は青春達の姥捨て山みたいだという
ねぇほらそこにもここにもかつて使い捨てられた愛が落ちてる
時の流れという名のハト舞い降りてそれをついばんでいる
食べかけの夢を聖橋から放る
各駅停車のレモン色がそれをかみ砕く
ふたりの波紋の広がり数えたあと 小さなため息交じりに振り返り
消え去るときにはこうしてできるだけ静かに堕ちてゆくものよ
こうしてさだまさしのレモンを書いてみて、改めて詩人であるこの人を感心して思い出す。いい歌があるあるあるよね。
さだまさしが東京を歌った幾つかの歌がある。そのあたりから始めようか。
新御茶ノ水、湯島聖堂、こんな歌があった。橋があった。聖橋といった。下に流れるのは神田川だった。駅には次々に電車がやってきて、客を乗せては走り去る。そんな情景を歌ううたがあった。演歌ではないが東京の歌だ。
ある日湯島聖堂の白い石の階段に腰かけて君は陽だまりの中へ盗んだレモン細い手でかざす
其れを暫らく見つめた後で綺麗ねといった後でかじる
指の隙間から青い空にカナリヤ色の風が舞う
食べかけにレモン聖橋から放る 快速電車の赤い色がそれとすれ違う
川面に波紋の広がり数得たあと 小さなため息交じりに振り返り
捨て去るときにはこうしてできるだけ遠くへ投げ上げるものよ
君はスクランブル交差点斜めに渡りながら不意に涙ぐんで
まるでこの町は青春達の姥捨て山みたいだという
ねぇほらそこにもここにもかつて使い捨てられた愛が落ちてる
時の流れという名のハト舞い降りてそれをついばんでいる
食べかけの夢を聖橋から放る
各駅停車のレモン色がそれをかみ砕く
ふたりの波紋の広がり数えたあと 小さなため息交じりに振り返り
消え去るときにはこうしてできるだけ静かに堕ちてゆくものよ
こうしてさだまさしのレモンを書いてみて、改めて詩人であるこの人を感心して思い出す。いい歌があるあるあるよね。
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